今年の初めに思い描いていたこの1年は、昨年に引き続き新しいファン活様式を模索しつつ、個人の活動を追っかけ、CDが出て喜び、テレビ出演を楽しみ、コンサート開催の吉報を待ち侘びる…
コロナ禍であることを除けばこれまでと何も変わらない、そんな1年になると思っていた。
だけど、実際の2021年は、まったく予想もしていない展開になった。
3月12日16時でわたしの世界は一変してしまった。
V6の終わりの時が突然告げられた。
「解散」なのか「休止」なのか「グループより個人優先」なのかその他なのかはわからなくても、そんな感じになりそうな不穏さ(と言っていいかわからんが)が去年の初夏ぐらいからあちこちに透けて見え始めていたのは、みんな感じてたことだと思う。
半年以上ことあるごとに繰り返し引っかかった違和感が思い過ごしではなくて、「やっぱり、だからだったんだ」と腑に落ちてしまったのが悲しかった。
そんな気配一切なく、青天の霹靂だった方がよかったとも思えないけれど。
終わりというのは誰にでも、どこにでもいつかは必ず訪れるものだ。
だけど、V6においては少なくともあと3年とか5年くらいはまだ大丈夫じゃないかと思う部分もあった。
諸々の違和感は、何年か先の“その時”に向かい始めた、グループとしての終盤に入ったというようなことを意識し始めているくらいのことだろうと。
無理な解釈をしている自覚はあったけど、「V6に限って解散なんて」という思いも同時にあった。
その時が、こんなに早く目の前に提示されてしまうなんて。
“いつか”訪れる不確定なものだった未来が、2021年11月1日という日に確実に決してしまった。
納得感と最後まで共にという思い、受け入れがたさと落胆と絶望、その他言葉に表しきれないたくさんの感情は、しばらく整理もつかずにこんがらがったままだった。
残された日々の少なさを思えばいつまでも悲しんでばかりいられないとは思ったけれど、かと言って「全力で楽しもう!」と自分を奮い立たせることも出来なくて、何をどうしていいかわからない日々が続いた。
雑誌が出たり、CDが出たり、テレビに出たり、そうした情報を追うだけで精いっぱいだった。
というか、気持ちが全然ついていけなくて、実はテレビのほとんどを、リアタイはおろか数ヵ月録画したまま放置していた。
「今夜最後」とか「11月に解散する」とかなんだとかの枕言葉が必ずついて回るし、とにかく見るのがつらくて見られなかった。
何かひとつリリースされるたびに、V6がひとつひとつ終わっていく。
受け入れられてはいるんだけど、それを形を変えて繰り返し直視させられるのがどうしても耐えられなくて。
春から夏にかけての間は、ひたすら向き合うのがつらい時間だった。
ライブ開催が発表され、3月12日からほとんど止まっていたわたしの時間もやっと動き始めた気がした。
なにがなんでも、いつどこであろうと絶対に行く、必ず会ってお別れをするんだと心に決めた。
家族親族の名義もなければオタ友達もいないので、たったひとつの自名義でチケットが当たらなければ行けやしないのだけど。
そんなわけで今回、初めて全会場申込んだ1。
よほど猛烈な凶運でなければどこかは引っかかるだろうと思ったし、わたしの名義はわりと強いという自信があったから(笑)、今回だって絶対に行けると信じた。
結果を待つ時間はもどかしかったけど、V6のオタクをやっている醍醐味みたいなのをまた感じられた。
無事にgrooveコンのチケットはわたしにもご用意されてくれて(日本語)、無事に開催されてもくれた。
そこに向かって準備していく中で、本当に最後となる時間を大事にしようとやっと前向きになることが出来た。
最後にちゃんと会ってお別れ出来たのは幸せだったと心から思う。
11月1日の”完成”に向かう途上ではあったけど、席はそれほどよくはなかったけど、同じ時間、同じ空間を共に過ごせたことにとても大きな意味がある。
わたしの現場オブザイヤーは、2021年唯一の現場でもあったこのgrooveコン真駒内②である。
わたしとV6の最後の時間が終わってから、解散に向けてのカウントダウンを一層リアルに感じるようになった。
日数的にも残り20日弱と差し迫って来てたのもあるし、直接のお別れが済んでわたしの気持ちに区切りがついたからでもある。
11月1日を過ぎてからでは虚しくなってしまうだろうと思って、溜まりまくった録画を一気に見た。
それはそれで苦しかったけど、たくさん泣いて、大幅に遅れながらもV6の最後を見届ける覚悟が決まりきった。
11月1日は、忙しい中家族が協力してくれて、わたしひとりでしっかりV6とお別れが出来る時間を作ってくれた。
誰もいない家のリビングのバカでかいテレビにPCをつなぎ、心は現地幕張に飛ばし、一瞬一瞬を愛しく噛みしめた。
現地参戦では大丈夫だったのに、今度はライブ中の半分ぐらい泣いてたと思う。
思えばV6のファンになって以来、こんなに泣いた1年はない。
だけど同時に、自分がどれだけV6を愛しているか、V6がどれほど多くの人に愛されているか、V6がわたしたちをどれほど愛してくれているかを、これほどまでに強く感じた1年もこれまでになかった。
ただ悲しく苦しいばかりの1年ではなく、当たり前じゃない、かけがえのない幸せを深く実感した1年であり、V6のことばかりを考えた1年だった。
そんな2021年が間もなく終わる。
2022年が始まる明日からはトニセン、健くん、岡田くんのFCあけおめ動画の配信があり、数日以内にはそれぞれからの年賀状が届くだろう。
これから”最新”のV6を目にすることはもうないのだ。
振り返ればこの約4年、V6はわたしの人生を鮮やかに彩り、世界を豊かに広げて続けてくれた。
年始や6人とわたしの誕生日、クリスマスを必ず一緒に祝ったし、知らなかったことをたくさん知って、初めての経験をたくさんして、コミュ力・行動力が増したり、出来なかったことが出来るようになったり、美意識が目覚めちゃったりなんかもして、得るものや成長がたくさんあった。
わたしは今までオタク的に全力でのめりこむ経験をしたことがなかった。
それ以前にも何度かアーティストにハマったことはあったけれど、CDをレンタルして聴いて楽しむ程度だった。
もちろん熱は冷めても時々思い出したように聴いて、好きだなと思うことはある。
だけど、CDやDVDやグッズを買い集めたり、雑誌買ったり、テレビ見たり、現場に行ったり、ずっと強い関心を持ち続けて“追っかけ”とか“オタク”したのはV6だけである。
こんなにお金も時間も費やしたことはなかったし、同時にこんなに多くを得たこともない。
いつしかわたしの日常にはV6があふれていた。
楽しみなことがある朝にはいつだって「朝日の香りがしてきたら」2が頭の中で流れる。
思い切った買い物する時は『大人Guyz』だし、滅多にないけど雪が積もれば『MIRACLE STARTER ~未来でスノウ・フレークス~』が雪かきの応援歌になる。
その他、いろいろな場面でふとV6やトニセン、カミセン、ユニット、ソロの曲やフレーズが思い浮かぶ。
何の脈絡もなくふと口ずさみもする。
マイブームで一時的に頭から離れなくなる曲はあっても、こんなに日常のありふれた場面に溶け込んだ曲はなかった。
それはこれからも変わらないし、彼らの曲たちはわたしの毎日とともにあり続けるのだろう。
2022年は坂本くんの『MURDER for Two』に始まり、3月に健くんの『陰陽師』、5月の長野くんのフォエプラ再当選(予定)と既に目白押しである。
タイミングが合わずにいる『すみっコぐらし』もまだ間に合えば行きたいし、今のところ近隣で上映予定がない剛くんの『前科者』もなんとかして観に行きたい、来秋の岡田くんの映画『ヘルドッグス』もぜひ観たいと、今まで避けがちだった映画鑑賞欲も燃えている。
V6、トニセン、カミセンというグループ、そしてそれを織りなす6人は、人間にほとんど興味がないわたしにとって、抗いがたいまでの魅力を感じる唯一無二の存在だったし、これからも変わらずそうあるだろう。
この先それと同じかそれ以上の熱量をもって他の人間やグループの類にハマることもきっとない。
だから活動がソロになろうとも、6人全員を変わらず全力で推して参る所存であります。
V6
20th Century
坂本くん
長野くん
井ノ原くん
Coming Century
剛くん
健くん
岡田くん
たくさんの思い出を、幸せをありがとう。
好きになったのがV6で本当によかった。
V6だから、6人だから好きになったんだと思う。
いつもいつでも本気の6人そのままを貫いてくれてありがとう。
決して長くはなかったけれど、共に過ごした時間は宝物です。
いつも心にV6、これまでもこれからも、いつまでも永遠に。
ずっとずっと幸せでいてね。
今年もありがとうございました。